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2024-09-29

東海道線を歩こう その33

9月の最後の土曜日の天候は曇りでした。雲は出てても雨が降ることはなさそうなので京都の方へお散歩に行ってきます。
9月の第1週がまだ18きっぷシーズンなのでここで行っておくつもりだったのですが、金曜日は仕事で徹夜だったので無理になってしまった。2週目は伊勢に旅行に行っていて、3週目は会社命令で武漢ウィルスを世界に撒いた国に出張でした。そのようなわけで最後の土曜日になったわけです。

旅程

今回は大津駅からの開始です。
東京から大津に行くのであれば京都まで新幹線を使って大津まで戻るというのが最短にはなるのですが、ちょっとずつ神戸に向かっている状況で「戻る」というのはいまいちな選択です。
米原まで新幹線を使ってそこからは在来線で大津まで向かいます。

9:37 大津駅
始発の新幹線を利用したら9時半に大津駅まで来ることができました。まあ上出来ですね。
今日は1日曇りの予報で雨は降らないということです。しかし、秋分の日を過ぎたので今日の日没は17:47となっています。日没の時間に注意しないといけない時期になりましたね。

春日町交差点
大津駅を出発して駅前の新松屋通りを西に進みます。
すぐに滋賀県道558号線に合流する。この県道が旧東海道にあたります。
ここからが今日一番の見所である逢坂超えです。都手前の逢坂は峠道で関所があり交通の要所になっていました。この東海道線の旅でも難所の一つで多分最後の難所になると思います。

京阪電車
坂を登っていたら京阪電車も登ってきました。
京阪電車はJRと違って逢坂を律儀に登っていきます。最大の勾配は61パーミルなので普通に山岳鉄道のレベルです。山科まで行くと地下鉄に直通するので地下鉄対応もされている欲張り仕様の電車でなかなかにマニア受けしそうですが、あまりにも遅いので途中駅に用がない限り地元民は使わないというちょっと残念な路線でもあります。

逢坂一丁目交差点
逢坂一丁目交差点で国道1号線に合流して更に逢坂を登っていきます。

逢坂山関
深い切通と大きなカーブが見えてきたら峠です。
今も昔も交通の要所で江戸時代は物資輸送のために石畳が整備されていました。

大津市追分
逢坂を下って山科の町並みが広がってきたところで滋賀県道35号線方面に分岐します。こっちが旧東海道です。現在の国道は線形改良でまっすぐになっていますね。

髭茶屋追分
そのまま旧東海道を向かうと追分がありました。
こちらは奈良街道との分岐点になります。京都を迂回する形で街道が作られていたのですね。奈良へはここから分岐してうじを経由して行けるみたいです。

横木二丁目交差点
旧東海道と現東海道が交差する横木二丁目交差点で京都府の文字が見えてきました。
旧東海道はもう少し滋賀県ですが、京都府に入ります。

山科駅前交差点
そのまま旧東海道を進み駅前の交差点を右に曲がります。

10:56 山科駅
駅前交差点を曲がるとすぐに山科駅になります。

麺家 山科 山かけ
このまま京都に向かうとお昼の取得が難しくなりそうなので、駅前のうどん屋さんで軽く食べていくことにします。さぬき系の腰がある麺に薄口という関西のうどんでした。未だに醤油に使ってるとしか見えない関東風には慣れない。

三条通り
京都駅へは旧東海道を進んで三条に向かう道と国道1号線を進んで五条に向かう道があります。後者は東山を超えるルートになるので三条方面に向かいます。距離は長くなりますが観光しながら京都駅に向かうことにします。

京都府道143号線
今は京都府道になっているかつての街道をのんびり登ります。こちらは逢坂と違って勾配は緩やかです。

九条山 車石
それでも物資輸送は大変だったようでここも街道整備がしっかりされていました。

蹴上浄水場
坂を登りきると蹴上です。
ここは京都に水を供給する拠点です。明治期に作られたものなので赤レンガ特徴的となっています。
京都には鴨川・桂川といった河川があるのですが、それ以上に人口が多く江戸期までは水問題が深刻でした。欧米から最新技術が輸入された明治期に琵琶湖から直接取水できる琵琶湖疏水が作られることになります。

蹴上インクライン
この導水路である琵琶湖疏水は現在も使われているのですが、当時の最先端技術を盛り込んだ超贅沢仕様になっています。なんと船が通れる。
冗談のようですが、逢坂を超える物資輸送の問題も一挙に解決すべく舟運が可能な仕様になっています。その際に問題になったのが鴨川と琵琶湖の高低差です。積替えをすると時間がかかるからということで選択されたのは「船ごとケーブルで引っ張り上げる」という方法です。欧米でも普及しきれていない発電所を設置して電気モーターで船を引っ張り上げました。
欧米の技術者も半分実験台の意味で作ったんだろうなあ。
結局のところある程度は役に立ったものの東海道線の全通で琵琶湖の舟運自体がとどめを刺されたので結果としては微妙だったという感じです。しかし、水力発電施設や大規模な導水路は京都の発展に大いに利用されたので無駄ではなかったとは思います。

白川
三条を進んでいたのですが、白川沿いの道が風光明媚だったので四条方面から烏丸通に行きます。

知恩院
途中に知恩院の入口があって前を通過して

八坂神社
四条前の八坂神社に参拝しました。

四条通
四条通りは観光客で一杯でなかなか通るのが大変な状況になっていました。
賑やかで儲かっていいと思うのですが、年金で働かずに食える住民からは不評なんだろうなあ。

四条大橋
鴨川にかかる四条大橋でいよいよ京都の街の中心部へ

鴨川
鴨川は京都の一番の河川です。歴史的にも多くの文献で登場します。
現代人としては夏の夕涼みが一番の印象ですが、低湿地な盆地の川なので河川整備されるまでは洪水も多かったです。また、低湿地で人口過多の盆地であったため京都は疫病の発生が頻発して鴨川に死体が積まれたという話も多いです。

四条烏丸
インバウンドの観光客に紛れながら四条烏丸に到着しました。
ここで南に向かえば京都駅ですね。京都の道は本当にわかりやすくていいです。

東本願寺
京都の赤字の原因の一つの東本願寺前を通り抜け

13:59 京都駅
京都駅に到着しました。
相変わらずバスターミナルの混雑がすごい。京都の観光地にはバスでしか行けない上にほとんどのバスが京都駅を中心に運行されるのでいつも混雑しています。
京都市は改善活動しているといいますが、これを見る限りまだまだですね。

神乃珈琲 パンケーキ
ポルタ内の喫茶店で休憩しました。
観光客が多いですが、お昼とおやつのちょうど間だったのが功を奏してすんなり入店できました。スポンジケーキなみのふわふわのパンケーキでした。

塩小路通
1時間ほど休憩して再出発します。
京都駅前の塩小路通を西に進みます。

梅小路公園
かつて機関区があった梅小路公園内を進んで行きます。

8620形蒸気機関車
ちょうど京都鉄道博物館で動態保存されているSLが運行されていました。
乗ってる人も欧米人が多い感じです。海外でも動態保存されているSLは珍しいですしね。

京都鉄道博物館
公園の隣は京都鉄道博物館があります。

0系新幹線
ここは各種新幹線が保存されていたりと結構な有名スポットです。
今回は時間がないので外から見るだけにします。
航空機を参考に空力デザインされた0系です。この時代は風洞実験を繰り返してこの形状が出来上がりました。現在の新幹線はシミュレーションで航空機よりも地面効果で線路と密着させたほうが効率的に加速できるってことでノーズの長いデザインになりましたよね。

西七条架道橋
博物館をあとに梅小路通を進んでいくと西七条架道橋がありました。
ここは東海道線開業当時から存在します。1878年かな。150年くらい前になる。煤けた感じですが、今でも交通量が多く現役という感じです。

16:00 西大路駅
1時間ほどで西大路駅に到着しました。
都市内の小さな駅という感じです。近くに公園があるみたいなのでそっちで休憩にします。

京都府道14号線
西大路駅の次は桂川駅になります。
文字通り桂川のそばの駅ですが、桂川も大きな河川になります。渡河するために京都府道14号線を進みます。

葛野大路九条交差点
国道9号線へのアクセス路にもなっている葛野大路通との分岐の交差点でついに目的地の神戸の名前が出てきました。この旅もゴールが見えてきました。

久世橋
程なくして久世橋で桂川を渡ります。

桂川
桂川もなかなかの川幅があります。
昼に渡った鴨川とは下流2~3kmのところで合流します。更にその先5~6kmのところで宇治川と名前を変えた瀬田川と合流して淀川になります。

17:08 桂川駅
桂川を渡河して桂川駅に到着しました。
駅の開業は2008年と非常に新しい駅です。隣の向日町駅から非常に近いのですが、キリンビールの工場跡地の再開発という形で駅ができたみたいです。

17:32 向日町駅
桂川駅から1.1km離れた向日町駅に到着しました。
私鉄かなと思うくらい近い。
陽が沈むので今日のところはここまでですね。帰りは京都駅から新幹線を利用しました。

  • 今回
    徒歩:22.57km
    区間:大津~向日町 16.7km
  • 累積
    徒歩:688.28km
    区間:東京~向日町 520.0km/589.5km 88.21%

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