Javascript External Library

2023-06-20

【Pikmin Bloom】フィンガーボードピクミン

毎月の課金圧が高まる Pikmin Bloom の6月のデコはフィンガーボードの欠けた3色である青白岩の追加になりました。

フィンガーボードピクミン
期間ギリギリになりましたがなんとか揃いました。
前月同様にルーレットに苗を出して、ルーレットを当てて、希望の色を引くという3連抽選方式でした。

全て金苗
しかし、前回は確率をあげすぎたという判断なのか、とにかくルーレットが当たらない。あまりにも当たらないので、運営が気を使ったのか全て金苗になったルーレットも1回ありました。
お題は1周では完了せずにStage 8までもつれ込みました。難易度極端すぎです。

2023-06-15

東海道線を歩こう その19

6月10日土曜日は Pikmin Bloom のコミュニティ・デイが設定されました。この時期はつゆ真っ盛りで雨がちな日が続いていましたが、この日は梅雨の合間で雨がやみました。
これは歩きに出かけなきゃね。
5月は休日出勤があり東海道線を歩くのは断念しましたが、今月は無事に歩けそうです。

旅程

10:14 舞阪駅
10:10舞阪着の豊橋行き電車で今日のスタート地点の舞阪駅までやってきました。
9時から10時の間で出発したかったのですが、流石に遠い。途中の熱海駅でJR東海の休日乗り放題きっぷを買うために1本分見送った影響ですね。

協働センター前交差点
駅前の道路を西に進んでいると南から国道301号線が来たので、合流してからは国道を進みます。舞阪協働センターの前で浜名湖の表示が現れました。
江戸時代の東海道は舞阪から対岸の荒井(新居)までは渡船しか手段がなかったようです。現在も旧東海道は舞阪漁港まで真っ直ぐの道が残されています。
現在は国道301号線、東海道線、東海道新幹線が弁天島を経由して対岸まで橋で結ばれています。国道1号線はもっと海寄りの今切を通っています。
ここは徒歩で対岸まで行けるか不安だったので事前に調べておきました。人間は国道301号線を行くと立派な人道(多分元車道)を使えば歩いて対岸までいけます。

赤鳥居 弁天島観光シンボルタワー
弁天大橋を渡ると赤い鳥居が見えてきました。脈絡もなく鳥居がありますが、舞阪町観光協会が建設したシンボルらしいです。夕日のスポットで有名らしいですが、昼だし天気悪いね。

10:53 弁天島駅
弁天島海浜公園の中央で国道301号線に戻って弁天島駅に到着しました。舞阪駅からは近いですね。新居町駅とも近いので新駅なのかと思ったら開業は明治なのでかなり古い駅です。
特に休憩もしなくて次に行きます。

東海道本線 第二浜名橋梁
中浜名橋、西浜名橋を渡ります。
東海道線も東海道線も近くを走ります。

11:35 新居町駅
昼前に新居町駅に到着しました。
いつもならお昼ごはんと言ったところですが、仕事で色々あって昨夜はやけ飯だったのでお腹が空いていない。10分ほど休憩して先に進みます。

新居関所跡
新居は交通の要所であるので江戸時代は関所が置かれていたようで、関所の施設が再現されていました。

新居関所跡大御門
歩道には大御門が復元されていて、国道301号線を徒歩で進むと必ず通過する構造になっているのが風情がある。

泉町交差点
関所をすぎるとすぐに丘になっています。
旧東海道はここで南に進路を変えます。国道301号線と東海道線は北に向かいます。私も北に向かいます。

清源坂交差点
国道301号線の清源坂交差点を右に曲がります。
しかし、右が国道301号線です。そうは見えない。
清源坂の名前の通り緩やかな登り坂になっています。

12:39 鷲津駅
国道301号線を道なりに進み鷲津駅に到着しました。
ここで20分ほど休憩しましたが、やっぱりお腹すかないなあ。もう進んじゃうか。次の新所原は少し離れているので念のためコンビニで携帯食を買っておこう。

鷲津中学校前交差点
国道301号線から分かれて静岡県道173号線を進み中学校の前で静岡県道3号線にぶつかります。
ここから静岡県道3号線を進むと新所原にたどり着くはずです。

笠子川
途中で細い河川を渡るところでふと川を見るとゴム堰が見えました。珍しいなあ。

14:27 新所原駅
午後2時半頃新所原駅に到着しました。

天竜浜名湖線新所原駅
ここは天竜浜名湖鉄道の駅もあります。
駅にうなぎのお弁当屋さんがありいい匂いがします。ここが浜名湖岸としては最後の駅なんですよね。うなぎ美味しそうです。

やまよし うなぎ弁当
買っちゃいました。うなぎ弁当です。1本入りを奮発しちゃいました。
注文してから焼いてくれるようで7分ほど待ってくださいと言われました。
とてもおいしい。2800円しましたが、これは大満足のお弁当です。

1時間半ほど食休みも兼ねてじっくり休憩しました。

愛知県県境
新所原に来るときは南口からでしたが、二川駅に向かうには北口です。
静岡県道3号線を制振するとすぐに愛知県に入ります。
静岡県に入ったのがその7だったので、静岡を横断するには1年かかったことになりますね。

立岩
そのまま愛知県道3号線を進みます。ここの道は立岩街道の愛称がついています。立岩当地名はないし両サイドに立も岩もない。
立岩街道の名称は1990年につけられたようです。その名前の由来が未知からすぐ見えるこの立岩という岩山です。
なんとこの岩はロッククライミングできるらしい。登山はたまにしますが、ロッククライミングはしたくないなあ。流石に怖いです。

16:52 二川駅
夕方に差し掛かる17時前に二川駅に到着しました。
こちらは旧東海道の二川宿で駅前の愛知県道404号線が旧東海道に該当します。
ここが愛知県最東端の東海道線の駅になります。次は豊橋駅なのですが少々駅間が離れているので今日はここまでになります。

カラーリリーバッジ
Pikmin Bloomのコミュニティ・デイのカラーリリーバッジも無事取得できました。
ちなみに見たことないし、あんまりユリっぽくないと思って調べたら、オモダカ目サトイモ科オランダカイウ属のことでオランダカイウを主に指すらしい。ユリ目ユリ科ユリ属とはだいぶ違うじゃんw

  • 今回
    徒歩:21.25km
    区間:舞阪~二川 19.2km
  • 累積
    徒歩:394.21km
    区間:東京~舞阪 286.7km/589.5km 48.63%

2023-06-11

インドネシア ジャカルタ旅行

はじめに

支那人が世界にばらまいた武漢ウィルスから立ち直ってきました。日本もついにワクチン接種済みなら隔離なしの判断になりました。普通の会社に勤めている私としてはうっかりPCR検査で陽性反応出て足止めされると困るので、出発前から帰国できることが確定するこの瞬間を待っていました。

行くと決まったらまずは行き先を決めます。まずは近場で様子見かな。そう思って台湾にしようかと思っていました。
他の近距離はと見てみると、ロシアは戦時下で渡航できません。考えてみたら隣国が戦争してるんだよなあ。南朝鮮は前に5連続で不良品の液晶パネルを送ってきて最後は逆ギレされたので正直なところ好きになれない。北朝鮮はそもそも国交がない。支那はそもそもこの事態を生み出したホンボシの国なので行けない。という感じで台湾になりました。

ところがである。私のような解禁に合わせた旅行客をターゲットにANAが国際線のセールを開始しました。とても刺さりました。これは乗るしかないなあ。予算往復10万円でどこまで行けるんだろうかと調べて一番遠いジャカルタ行きに決まりました。

アフターブカンの始めの海外旅行はインドネシアのジャカルタへ行きます。

旅程

旅程(全体)


旅程(ジャカルタ拡大)

準備編


1日目


2日目


3日目


費用

  • 交通費
    • ANA
      • 羽田空港↔スカルノハッタ空港 97,320JPY
    • インドネシア鉄道
      • Soekarno Hatta→BNI City 30,000IDR(=287JPY)
    • ジャカルタ高速鉄道
      • Dukuh Atas BNI→Bundaran HI 3,000IDR(=29JPY)
      • STTデポジット 6,000IDR(=58JPY)
    • インドネシア国営バス
      • Gambir→Soekarno Hatta 80,000IDR(=763JPY)
  • 宿泊費
    • 1日目 4,490JPY
    • 2日目 3,123JPY
  • 食費
    • 1日目夜 94,127IDR(=899JPY)
    • 2日目朝 53,000IDR(=506JPY)
    • 2日目昼 48,000IDR(=463JPY)
    • 2日目夜 118,450IDR(=1,131JPY)
    • その他 130JPY
    • その他 33,600IDR(=321JPY)
  • その他
    • 保険 3,430JPY
    • 到着ビザ 519,500IDR(=4,783JPY)
    • 国立博物館 25,000IDR(=238JPY)
    • ボッタクリガイド 600,000IDR(=5,784JPY)
    • お土産 268,700IDR(=2,566JPY)

計 126,321JPY

新たに追加された訪問国

  • インドネシア

さいごに

4年ぶりの海外旅行になりました。2泊3日のショートトラベルでしたが、この程度だと準備する荷物も少ないですし、休暇を取得するのも楽でした。極めて濃密な3日間だったと言えます。未知の出来事ばかりだった点がこの濃密な感じを演出しているのでしょうね。すごく楽しかったです。
今回の旅行は移動・観光・移動の3日間で構成された感じになっています。観光が短いといえば短いですが、これでも十分楽しめることがわかりました。武漢ウィルスが終焉したら、1ヶ月位かけて地球1周を考えていたのですが、勤め先の体制が変わってしまって1ヶ月の休暇取得が難しくなったので計画倒れになってしまいました。もう少し日程を圧縮した上で地球1周できないものかと考えていたので、もしかしたら計画を練り直して実現できるかもしれない。

インドネシア ジャカルタ旅行 3日目

4:00
起床しました。
初めてのカプセルホテルはぐっすり眠れました。
どうやら私は壁があったら眠れるらしい。

カプセルの中でスマホからオンラインチェックインします。このまま発券かと思ってましたが、発券自体はカウンターでやる必要があるということです。
しかたない。カウンターによるためにホテルをチェックアウトします。

特に書類は必要なくカウンターで発券できました。朝ごはんを食べるために出国しましょうかね。
スカルノハッタ国際空港の手荷物検査はそこそこ厳しく腕時計も外せと言われました。
さて、出国手続きはと探すと右手の方にカンターがありますね。入国時は到着ビザは別だったので探してみるけど、外国人用カウンターにビザの種類はないみたいです。
ところが、朝早い影響なのかすべて閉じてる。どうすれば・・・
ウロウロしてると「こっちだ」と声をかけられた。見ると自動ゲートがあります。
自動ゲート行けるの?と思ったけど、「そこはインドネシア人専用だ」と言われた。どうすりゃええねん。
「今の時間はAPECゲートと共通だ」と続けられた。なるほど、それはわからん。
無事に出国できました。

プラザプレミアムラウンジ
カウンターで案内されたラウンジはガルーダ・インドネシア航空のものとプラザプレミアムラウンジの2つでした。ガルーダ・インドネシア航空のほうが設備は良さそうですが、プラザプレミアムラウンジは登場するゲートの目の前、こっちにしよう。
中はラウンジですね。朝が早すぎてホットミールも限られた提供のようです。

プラザプレミアムラウンジ めん
朝ごはんを物色していたら係員さんが「こちらはどうですか?」とメニューを見せてくれました。文字ばかりでよく分からなかったので食べてなくて写真があった汁麺を頼みました。
高速道路のサービスエリアでよくある音がなる番号札を貰って受け取ったのがこちらです。
鶏つくねの汁麺かな。出しが効いていて香辛料よりも出しベースの味付けになっていてとても優しい味です。朝食にいい。
麺はおなじみのインスタント麺です。東南アジアだと普通の食堂でもインスタント麺が出てきますよね。日本人が発明したインスタント麺ですが、日本だと食堂では出てこない。美味しいし経費も下げられるだろうに、どうして日本人は自身の発明品を使わないのか。謎い。

スカルノハッタ国際空港 第3ターミナル6番ゲート
のんびり過ごしていたら搭乗の時刻になりました。出発は6番ゲートですね。
ステータスホルダーなのでグループ2でした。1は1組だけだったのでかなり早い段階で乗れます。

ANA 機内食
7:09
ほぼ定刻通りの出発となりました。
帰りのNH872便は787-8でした。搭乗率は7~8割程度といったところです。なかなか乗っていますね。支那人の武漢ウィルスに負けるな人類。
帰りはなかなかの搭乗率だったので3席独占とはなりませんでしたが、中央席が空席だったので快適に過ごせました。私は通路側で窓側席の方はアメリカ人でした。
水平飛行に移ったところで機内食が提供されました。朝ですがドリンクは白ワインにしました。休みだしいいよねと思ってましたが、隣席のアメリカ人も赤ワインをオーダーしていました。なんか安心。

ANA サンドイッチ
仮眠したり映画を見て時間を過ごしていると軽食でサンドイッチが提供されました。
この航路は機内食+軽食って言う感じなんでしょうね。

JA831A
16:40
羽田空港の109番スポットに到着しました。5分遅れなのでほぼ定刻ですね。
入国審査は自動ゲートで楽々です。
税関審査は以前の旅行からは新しくなったはずです。まずはVisit Web Japanの税関審査のQRコードを用意します。今朝のホテルで申請書自体は電子申請しておきました。
QRコードを見せるとKIOSK端末でチェックして欲しいということだったので、端末でスマホとパスポートをかざすとあっさり登録完了しました。
あとは税関の門を歩くだけで顔認証してくれます。便利ですねこれ。
無事に入国して今回の旅は以上となります。

お土産
お土産はスーパーで買ったお菓子でこれは会社で配る。
その他、空港のお土産屋さんで売ってた布にした。加工品っぽいんだけどなんだろうか。

インドネシア ジャカルタ旅行 2日目

7:00
30分前からダラダラしていたけど起きる気になりました。
基本的に平日か旅行している時しか朝早くに起きないですね。

しょくぱん
とりあえず、6時から10時までの朝食会場に行ってみます。受付で部屋番号を告げるとリストになく朝食がついてないですよと言われた。やっぱりかー
有料で用意できるともいわれたが断って部屋まで戻りました。
よし、しょくぱん、君の出番だ。
レーズンとバターがたっぷり入ったパンでした。とてもおいしいけど、断じて食パンではない。日本食レストランも多くテナントに入ってたので日本のメーカーがブランド名で売ってるんでしょうか。謎い。

北向きの窓
日が昇ってきて北向きの窓から日が差し込んできました。理屈じゃわかるんだけど違和感がすごい。昨日も18時には日没してました。6月で暑いのに日の長さは変わらない。これも赤道直下ということですけど知識で知ってるのと体感するのはまた違う。

Google Mapを見ながら今日の工程を考えます。近くに国立博物館があるのでまずそっちによって、モナス、モスク、教会を見物して夕方に空港行きの電車に乗ろうかな。
ちなみにこの計画は破綻することになる。

どぶ川と屋台
9:50
宿をチェックアウトしました。
なんだか立ち眩みがするのでスロースタートです。中産階級は日本と同レベルですが、日本と違うのは低所得者層がいるということ。日本にはない存在です。正直なところうらやましい。日本には低所得者層がいない歪があると思います。

ラウンドアバウト
ジャカルタのメイン通りの交差点はいくつかがラウンドアバウト式になっています。
日本ではあまり見慣れないものですが欧米ではかなり一般的です。この交差点の特徴は交通量以上の土地面積がないと詰むこと。ジャカルタでは頻繁に交通マヒが生じるらしいです。
もちろん政府も無策ではなく、昨日利用した地下鉄や写真のような専用道利用のバスで混雑緩和を試みているようです。リアルCitiesですね。

国立博物館 何か
10:15
国立博物館に到着しました。午前中ですが暑いです。31度あるので真夏です。
入館料は25000IDRとお安い。外国人向けにはもっと値段を上げていいのではなかろうか。
みんなが写真を撮っている何かはちょっとよくわからなかった。

国立博物館 象
何かの横には象の像。こっちはマスコットなのかデフォルメされたイラストが各所にありました。

国立博物館 仏像
館内に入ると大量の仏像に圧倒されます。7世紀くらいのものらしい。日本に仏教が伝来したのもこの時期なので布教活動が流行してたらしい。

国立博物館 豚の像
こっちも結構有名らしい素焼きの豚の貯金箱。なぜ人類は豚を貯金箱にするのか。

国立博物館 青磁
絵付けと色が鮮やかな青磁は中国から伝来したもの。この辺りも日本と同じです。
総じて中国から文化が定期的に流入する島国という感じで日本と類似点が多いです。

スカルノ大統領とハッタ副大統領
今のインドネシア建国の父であるスカルノ大統領の人形です。こうして偉人を伝えていってるんですね。今日は休日なので多くの学生が博物館に来ていました。

この博物館はインドネシアの歴史が実物を目の当たりに学習することができます。
日本の歴史は3000年、中国の歴史は4000年、韓国の歴史は5000年(笑)。インドネシアは100万年と案内されていました。ジャワ原人が発見されたところからの展示になってるんですよね。発掘、地質、などの周辺知識の展示もある非常に興味深い博物館でした。

コーヒーと謎(鑑定失敗)
12:30
たっぷり2時間も博物館を堪能しました。
そろそろお昼にしたいです。博物館内の喫茶店が軽食も出してくれそうです。メニューも入り口に掲示してありました。
ところがお昼時で館内に人が結構いるも誰も入らない。なぜだ。
営業してないんだろうか、しばらく観察してみたところ人が入って注文しているので営業はしているみたい?
思い切って入店してカウンターで注文を試みます。メニューは見やすい位置に掲示してあるものの、店員からは見えない角度です。これは指差し注文が難しい。
インドネシア語しかなく読み方もよくわからない。とりあえず価格的に食事っぽいものをローマ字読みしてみよう。なし?
そうすると、店員が今日は米はないここにあるものだけだ。と言ってガラスケースを指してくれました。なるほど、今日は提供メニューが限られるのか。これが人が少ない理由かな。
ならばと、茶色く大きながんもどきっぽいものを指さして1つ欲しいと伝えます。
お腹に入りそうなものは頼めました。あとは飲みのが欲しいところです。
飲み物が欲しいと伝えるが、店員は首を傾げます。メニューは?と聞くとレジ前のインドネシア語のメニューを指します。むむむ。このとき、店員の肩越しにコーヒーマシンが目に止まりました。これだ。「コーヒーをください」すると店員がメニューを指さして「コーヒーはこれね」と言ってくれました。kopiよ。お前コーヒーだったんかい!
一番上のアメリカを注文すると、「アメリカンね。ホット?アイス?」「アイスで」飲み物もオーダーできました。
とりあえず私は頑張ったよ。少ない気がするけど、昼なら屋台を見つけておやつも食べられるでしょう。
さて、コーヒの方はアメリカンでした。薄いコーヒーのみで砂糖も練乳も入っていない。薄いコーヒーはインドネシアでもアメリカンなのか。
問題はカウンターのガラスケースにあった謎の食べ物です。何かを揚げてシロップに漬けた感じのようで甘いです。しかし、何を揚げたのかがわからない。一番近いものはさつま揚げかなあ。調べてもよく分からなかった。

モナス
国立博物館の次は隣にある大きな公園に行ってみることにします。

博物館を出るところで敷地ギリギリの内部の椅子に座ってたおっさんが「止まれ止まれ」と言ってくる。
あれ?出口だよね?
そう思ってたら「どこに行くんだ?移動方法は?」って写真見せながら聞いてきた。
ただの客引きかい。「隣に行くだけで歩いていくよ」と断る。

この塔はインドネシアの独立を記念して建設された独立記念塔らしいです。周辺は大きな何もない公園の用な感じで整備されています。北東部は地形の関係で少しえぐれていますが、ほぼ真四角のきれいな公園です。四角の公園だと東西南北の辺の中心から入れるのが日本ですが、ここは四隅の頂点から入れます。
入り口では警官が警備をしています。門も少ししか開いていない。私を見ても素通ししてくれたので露店を制限しているのかもしれない。

周りに何もなくてあまり大きく感じられませんが、なかなか大きな塔です。
近くに人がいるのですが、周辺にフェンスがあって入れない。入場料がかかるのかな。そして入り口はどこだろうか。
探していると警備員と話してた現地の人が話しかけてきた。
話してみると、この塔は上まで登れるが休日なので学生が多くて混み合っててる。地下の博物館なら行けるから案内できる。ということだった。

独立文書保管庫
案内してもらった。この人物はチケット売り場の職員に声をかけてパスを改札に翳していたようなので職員のようです。
内部の展示の説明もしてくれます。これは入場料+ガイド代が後で請求されるパターンっぽい。まあ、説明も興味あるので別にいいか。
この塔はただの記念塔かと思っていたら、インドネシアの独立宣言の文書がここに保管されているらしい。今のインドネシアを証明する文書なので厳重に保管されている。文書の承認を行ったのが日本ということで日本にはとても感謝しているとこのガイドが言っていました。
公式なインドネシアの独立は1945年8月17日ということです。2日前には敗戦の宣言をしてたような。ガイドに伝えると「日本がアメリカに負けるわけ無いじゃん」って返された。このガイド、若干知識が怪しい。
気になったので後日調べてみると、太平洋戦争中に既に独立承認は現地軍政府下で行われていて、スカルノ初代大統領の公式宣言がこの日だったみたいです。日本の前にインドネシアを植民地化していたオランダとしては侵略してきた日本が現地人と共謀して独立させたという事になった。当然激怒することになって独立宣言を無視してインドネシアとオランダは独立をかけた戦争を行うことになる。ちなみにこのガイドは「オランダは許せねえ」と言ってた。オランダ的には今のクリミア半島くらいの状況だったんだとは思う。
日本の教科書だと太平洋戦争で劣勢だったのでインドネシアは放棄してついでに独立を認めたとあるけど、これは間違い。元々、太平洋戦争は東南アジアの独立を目的に開戦されています。資源が豊富な東南アジアから東アジアを一つの経済圏にして欧米と勝負できる規模にすることが太平洋戦争の目的でした。もちろん日本が主導権を握るという下心はあったんですけどね。中華民国、タイ、マレーシア、インドネシアは割とうまく行ったほうだと思います。フィリピンとベトナムは戦後になんやかんやありすぎて微妙な感じになってしまって、朝鮮は戦後真っ先に裏切りました。朝鮮が最も投資が大きかったはずなんだけどなあ。

Merdeka Palace
モナスでのガイドが終わると「次にどこに向かうつもりだ」と聞かれるので「モスクは見に行くよね」というと「じゃあ、こう行くといい」と指さしてくれます。さてガイド代かなと思ったら、そういうこともなく、むしろ敷地外までついてくる。
あれ?
これはもしや勝手にガイドしてきて法外なお金を要求するというあれでは?
いちよう案内はしてくれるし現地の話もしてくれるので楽しい。しかし、いくら要求されるんだろうか。この建物はホワイトハウス的なところだと言っていた。

Supreme Court of the Republic of Indonesia
こちらは裁判所かな。モナスの北側は主要な政府組織が固まってあるみたいです。

Masjid Istiqlal
ジャカルタで一番大きなモスクです。インドネシアはイスラム教徒が一番多いです。とても立派な鉄筋コンクリート製。現代的だなあ。

Gereja Katedral Jakarta
モスクの正面にジャカルタ最大のキリスト教の教会があります。尖塔は崩れたらしいので新しい鉄骨製。
インドネシアも日本に負けないくらい地震大国ですしねえ。流石に丈夫な建物を作るしかないか。
中等の方だとムスリムとキリスト教徒は仲が悪いが、インドネシアだと友好的でそれぞれのお祭りをやっても安全だ。とガイドが自慢していました。「多くの島、多くの民族、言語も宗教もたくさんあるがそれがインドネシアだ」と自慢していました。確かにティモール島では成功したとは言えないが、概ねうまくはいってますよね。これはすごいことだと思う。
ちなみに「宗教は?」と聞かれたので「神道だ」と答えて柏手を打ってみせたが、「それは知らないなあ」と返された。そりゃそうだよね。

さて、モナスで伝えたルートは消化しきった。「次はどうする?買い物する?」とガイドが聞いてくるので「空港に案内してくれ」と伝えた。ガイドはまだ早くないかと言ってくるが、早いのはわかってる。あなたがいくら請求してくるかが不安なんだよ!
いくつか、選択肢を提示されたが、最も安価であろうバスを選択した。バスだとガンビール駅から出てるからそこまで行こうということなった。

ガンビール駅裏手のバス停が見える所まで来たところでおもむろにガイドが価格を提示してきた。
お?ついに精算か。
「まず、モナスの入場料が25だ」とガイドが言う。私が25,000IDR出そうとすると、「いや、25USDだ」という。「国立博物館が25,000IDRだった。そんなわけ無いだろ」「それは間違いだ」うーん、埒が明かない。
「トータルでいくら欲しいんだ?」「ルピーなら600(k)だ」
かなり高いな。さてどうするか。

1.時間をかけて交渉する。→こちらの言語能力も問題だし、何よりも暑い。持久戦は難しい。
2.脅迫する。→論外。ガイドは道すがら多くの現地人に声をかけていたので仲間は多いと見た方がいい。
3.金が無いという。→ここが駅の隣というのが問題。駅にはATMがあるので、駅に連れて行かれるのが落ちである。
4.諦める→今回はこれですね。

「わかった。わかった。600払ってやる」
ようやくバス停で「あそこでチケットを買って向こうのバスに乗るんだ」と案内してくれた。
楽しかったけど。負けたじぇ。

インドネシア国営バス
15:32
もう少し観光したかったが、空港行きのバスは発車してしまった。経由便ならガイドをまいて観光続行だったんだけど、まあしかたない。
「渋滞があるから時間はかかるけど安いよ」とガイドは言ってましたが80,000IDRでした。鉄道よりもだいぶ高い。乗る前に運転士に行き先を確認したので大丈夫だとは思うけど、これで空港に行かなかったらどうしようもないな。
インドネシアらしい空調の効きすぎた車内で完全に気が抜けてしまっていて出発前に運転士がなにか聞いてきたのですが聞き逃した。
運転士が「1?2?3?」と言ってる。チケットは渡したはずなのに1人に見えないのか?と思ったけど、選択肢が1~3というところで気がついた。
「ターミナル番号か?」「そうだ。テルミナル(ターミナルがだいぶ訛ってる)」「3だ」「OK」
乗客がいなかったらスキップするのかな。

バスは途中から高速道路に入る。インドネシアでも高速道路は有料らしい。しかもETCのようなGTOレーンがある。しかし、乗用車のみらしく利用には厳しい車高制限がある。バスは有人レーンを利用していた。日本だと車種は車載器側で判断される。日本でも違法な車載器の搭載があるのでそういったものへの対応かもしれない。

高速道路を空港手前で降りると路端に一旦停車。空港から近いがターミナルからは遠い。微妙な位置で客扱いするんだなと思ったら、水売りが乗ってきてペットボトル入りの水を売り始めた。誰も買わない。水売りはそのまま降りていった。
いや、これから飛行機に乗る人はペットボトル飲料は買わないと思う・・・
明らかにミスマッチな商売なのだが、気になるのは国営のバスが態々停車して水売りを乗せた点です。合法とは思えない。黙認されている商売なのかな。

16:27
スカルノハッタ国際空港第3ターミナルに到着しました。
道なりに30kmといったところ。そこそこ時間はかかったけど1時間なら特に問題はないと言える。鉄道ができるまではこれが街と空港を結ぶ手段だったと考えれば妥当なラインである。輸送量はちょっと不安だけど。

スカルノハッタ国際空港第3ターミナル
空港に到着。一安心する。でも、よくよく考えると昨日空港を出発して24時間もたってない。我ながらすごいスケジュールの旅行だなあ。
ターミナルに入る前に荷物のX線検査機がありました。前を歩いていたインドネシア人がスーツケースを台に置くので私もザックを下ろしたら、お前は不要だから中にはいれと言われた。大型の荷物だけ検査してるのかな?

イスラムっぽい飾り
ターミナルの中央に鎮座する飾りはモスクっぽい。でも、ジャカルタの大モスクはこの形じゃなかったな。外国人がこぞって写真を撮っているので私も写真を撮る。

デジタルエアポートホテル 外観
明日の飛行機は7:10発とかなり早いです。国際線なので2時間前は必須ですが、初めての空港なので勝手がわからない。3時間前には到着しておきたい。街から空港までは最低でも1時間となると、ジャカルタ内に宿を取ると3時チェックアウトになります。無理である。
空港内のホテルは外国人をターゲットにしているようでなかなかのお値段が並んでいる中で一つだけ安いホテルを見つけたのでこちらにしました。
場所がよく分からなくて探したのですが、第3ターミナルの国内線側にありました。
第3ターミナルの出発階からだと東の端のエスカレータを下った場所です。
チェックインする際に50,000IDR必要でした。デポジットだということでした。ちょうど現金があったのでキャッシュで渡しておきます。

デジタルエアポートホテル 居室
このホテルが安い理由、それはカプセルタイプだからです。
実はカプセルホテルはここが初めてです。初めてのカプセルホテルが海外になるとは思ってなかった。

Sate Khas Senayan
ホテルに荷物を置いたので晩御飯にしましょう。
空港内には何があるかな。
ペッパーランチ、A&W、しゃぶしゃぶ、丸亀製麺、吉野家、ケンタッキー・・・
見慣れた店が多いなあ。ビアーズパパとかファミマもある。
流石に知らない店がいいな。
色々物色してSate Khas Senayanに決めました。Senayanはインドネシアの地名っぽいのでインドネシア料理でしょう。Google先生の翻訳によるとサテレストランとあったので食堂であることは間違いない。
接頭辞のサテはなんだろうか。サテライト=衛星なので、付随するとかそういう意味なのかな。つまり、サテレストランはお手軽にご飯が食べられるよ。そういうことですね。
注)サテはインドネシア料理で串打ちした肉を焼いた料理らしい。つまり、やきとり屋だったというわけです。後で調べた。

SENAYAN Nasi Uduk
メニューは写真つきで外国人にも優しい仕様でした。
1ページ目は焼き鳥が並んでいる。飲み屋だったか!?と思っけどアルコールのメニューがない。お酒を飲まないイスラム教徒が多いしなあ。ページを捲るとワンプレート料理のようなご飯付きのメニューが有りました。これにしよう。
値段もそこまで高くないみたいなので色々食べれそうなNasi Udukにしました。Udukはよくわからない。
味はめちゃくちゃ美味しい。なお、食べ方はよく分からなかったので自由に食べた。
付け合せのソースは辛味かと思ったが、全く辛くはなかったのでかなり謎です。
お米は他の副菜と一緒に食べるとちょうどいい感じです。そもそもそいう食べ方が前提になってるのかな?
大満足の一品は70,000IDRでした。
空港価格でこの味と量を考えると、昨日の百貨店の食事はかなり高かったなあ。

SENAYAN Es Lime Tea
飲み物はライム入のお茶にしました。甘さと酸味がちょうどいいです。お値段は33,000IDRでした。
全体としてかなりいいお店を選択しました。インドネシアで食べたものの中では一番美味しかったんです。

さて、満足したのでホテルに戻ります。
このホテルはトイレとシャワーが一度外に出ないとだめでした。ちょっと利用しにくい。
シャワーのタオルがどうしても見つからなかったので利用しませんでした。うーん、武漢ウィルスのせいなのかなあ。まあ、寝るためだけのホテルですね。
明日の朝は早起きしないといけないので早めに就寝します。初めてのカプセルホテルですが眠れるかなあ。