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2025-04-26

フィリピン旅行 2日目

朝食

今日は一日観光日ですが、なんとなくスロースタート
朝8時に朝食会場に降りてきました。ところが満席で入れないということ、仕方ないので9時前にもう一度訪れると今度は入れました。それでも席が満席だったので、フィリピンの人も結構スローなのかな。

Bayview Park Hotel Manila 朝食
Bayview Park Hotel Manilaの朝食はロビー階のレストランにてビュッフェ形式で提供されます。ホットミールも充実していてヨーロッパ式と違って嬉しいところです。ただ、遅かった。結構な量の欠品が出ていてパンとスクランブルエッグくらいしかない。明日は早めの時間にしよう。よくわからなかったのがこの紫の粘性の高い物体ですが、UbeのGinataang Bilo Biloっていう代物らしい。日本風に言うと善哉となるらしい。善哉よりも甘さは控えめでやや粉っぽい。色合いに面食らいますが悪くない感じです。フィリピンのスイーツの位置づけらしい。

リサール公園

朝食後は観光に出発です。朝食が遅かったので10時に出発となりました。
まずはホテルに近いリサール公園に行ってみます。

José Rizal(ホセ・リサール)

José Rizal Monument
公園には大きな記念碑があり国旗が飾られています。つまり重要人物ですね。
今まではそういう感じでしたが、今回からはAIにガイドしてもらっているので写真1枚で調べることができます。

Rizal Execution Site Markers
ホセ・リサールさんはスペイン植民地時代終盤の頃の人で医者兼教師といういわゆるインテリ層であった人です。それ故に植民地としてのフィリピンに疑問を抱き、独立すべきだという考えのもと様々な行動を行います。

Martyrdom of Dr. Jose P. Rizal
もちろん、スペインがそれを許すはずもなく最後はこの公園の場所で銃殺されることになりました。銃殺刑なのに背中から撃たれる形になっているのは、最後までフィリピン国民に対して独立を勝ち取るべきだという訴えをしていたからで、撃たれるまで正面を向くことを拒否続け、撃たれた後も振り返った姿をかたどっています。暴力でなくあくまで対話にこだわった結果というわけです。
このすぐ後にアメリカとスペインはキューバを巡って戦争になりアメリカが勝利、フィリピンもアメリカが統治することになります。スペインを排除できたことで独立を勝ち取ったかに見えましたが、この後の米国は帝国主義を進めたので独立は叶うことはありませんでした。その後、太平洋戦争で欧米の支配の排除を目指した日本が米国を排することに一時は成功するも日本は敗北しここでもフィリピンの独立は叶わず、独立は大戦後の1946年となりました。しかし、その後の東西冷戦の舞台ともなり、政府が安定しない状態が今でも続いています。

Statue of the Sentinel of Freedom

Statue of the Sentinel of Freedom
そんなリサールさんの反対側にも褌一丁の男が飾られています。この人はラプ=ラプと伝えられていて16世紀の人です。フィリピンがなぜアジアでは珍しいスペインの植民地だったかというとマゼランの世界一周探検の際に太平洋を超えて到着したポイントがフィリピンだったからです。その後、スペインの植民地だったメキシコとの間に年1回往復する航路が発見されフィリピンがスペインの植民地として統治されるようになりました。
そしてこの人物はマゼランと戦ってマゼランの野望をくじきフィリピンの地に沈めた男です。つまり、フィリピンからするとスペインの支配に最後まで抵抗した中世の英雄というわけです。

噴水

噴水
中世から続く歴史が垣間見れる公園ですが、ただの公園としても十分で噴水があったする。
奥に見える建物はタワマンらしい。重要な公園からみえるタワマンということもあって建設反対運動は当然起こったのですが、規制する法律がなかったので建設が完了したらしい。

Chinese Garden

入口
公園にないには中華風ガーデンと日本風ガーデンがあってこちらは中華風ガーデンの入口です。

孔子像
中央に孔子像がある。まあ、有名人物だし?

池の周りに中華風の回廊が作られている。

Japanese Garden

入口
日本風の方はというと入口はこんな感じです。
確かに、こんな感じの公園の入口はあるけど、これ門じゃないんだけどな

中華風と同じで池がある。池があるのは暑いからなんだろうな。
こっちは建物が少ない。予算がなかったのか日本風がいまいちピンとこなかったのか

鳥居
そして、唐突に鳥居がある。なお、どこの境界にもなっていない。
まだこっちのほうが門に近かったんだけど、まあでもインパクトが有るものと言われればそうかも

イントラムロスへ

リサール公園のあとはイントラムロスに向かいます

Kalaw Ave
リサール公園とイントラムロスは隣合わせなので真っすぐ行けば近いのですが、ちょっと回り道しながら行ってみます。
街路樹の下では露天が多く見られます。特に客引きとかはしてこないのでその点は安心できる。観光場所の出入り口にはガイドがいて声をかけてきてこちらはちょっとしつこい感じです。ただ、英語の現地ガイドよりも日本語で返してくれるChatGPTさんのほうが優秀である。

jeepney
こちらは庶民の足であるジプニーです。結構頻繁に走っているのですが、行き先と料金がよくわからない。米軍のジープの払い下げを改造したらしい。本当だろうか、魔改造し過ぎでは?

Taft Ave
右上に見える高架はLRTでマニラの渋滞を緩和させる目的で整備が進んでいます。現在のところ3路線ですが、渋滞緩和にはまだまだ遠いみたいです。あと、空港には直結していない。

イントラムロス

イントラムロスはスペイン植民地時代のスペインの要塞都市です。

入口
入口はしっかりとしていて城郭に囲まれています。
これは植民地獲得競争の防衛のためでもあるらしい。確かに、イギリスとかオランダとかフランスの植民地が近いですしね。

内部
中に入ると今までの東南アジア感がさっぱり消えて欧州風に替わります。
門一つ越えただけでガラリと変わるのが面白です。

San Agustin Church

サン・アグスティン教会
そのままGeneral Luna Stを歩いてサン・アグスティン教会を見学します。

中庭
こちらの教会は16世紀に建てられたもので、内部は博物館になっています。
スペイン植民地自体の交易の様子が展示されていて収蔵品の量も多いです。

フレスコ
宗教画や壁画も多く、天井のものとかも見ると結構な量です。

聖堂
聖堂は開放されていませんでしたが、聖堂として使われる日には開放されるらしい。
こちらは天井まで装飾がという感じですが、全部絵でした。これはトロンプ・ルイユというだまし絵の技法らしい。

教会をでてカフェで一休みと行きたかったのですが、ちょうどお昼の時間帯なのかどこも一杯でした。仕方がないので露天でマンゴージュースを購入しました。このときに釣り銭をもらう様子を浮浪児に見られていたようで、Plaza de Santa Isabelでジュースを飲もうとしたところ数人の子どもに囲まれて一番幼い子供が無心してきました。これはスられると確信して休憩を中断してPlaza Romaまで移動しました。後で確認したところ盗まれたものはなかったので良かった。

マニラ大聖堂

Palacio del Gobernador
Plaza Romaで休息して一息つくとこの建物が目に入りました。この建物はかつての総督宮殿らしい。

マニラ大聖堂
そしてすぐ隣にマニラ大聖堂があります。ここがイントラムロスの中心部ということですね。

内部
内部に入るには簡単なセキュリティチェックを受ける必要がありました。
中は現役の聖堂という感じですね。サン・アグスティン教会は結婚式・観光・博物館の機能が強めですが、マニラ大聖堂は礼拝・儀式など公式行事もあるので現役という感じです。
建物は1958年に再建のもののようです。確かに建材が新しめですね。

サンチャゴ要塞

General Luna St
General Luna Stを更に進んでイントラムロスの反対側まで行きます。

城壁
パシッグ川の辺にはサンチャゴ要塞が築かれています。

城壁
こちらはイントラムロスの防衛設備ですね。

主要施設がパシッグ川に沿ってあるというのが当時の時代背景という感じですね。
近代になると船の砲の有効射程が伸びて少し海から外れた場所に要塞を作るようになっていましたが、中世の要塞なので海と川の直ぐ側で上陸阻止を主眼にしているようです。

建物
ここは旧日本軍の展示もあります。

建物跡
この要塞は太平洋戦争中も拠点として使われました。日本占領下で捕虜の収容が行われていましたが、敗色が濃厚になる中で敵の捕虜の扱いがいいはずもなく末期ではかなりの惨状となっていたようです。最後には米軍の奪還作戦で多くの犠牲を出すことになります。

ここの見学を終える頃には14時を回った時間帯になりました。そして、今日も39度の猛暑になりました。流石に危険なのでホテルに引き返すことにします。

R-1

Bonifacio Dr
トライシクルを利用しようかとも思ったのですが、ホテルまでの大通りは街路樹もあるのでのんびり歩いて帰ることにしました。まあ、価格交渉がめんどくさかったて言うのも理由にあります。

Centennial Clock Monument
ホセ・リサール記念像まで戻ってくると道路の反対側に0km基準がありました。
日本でいうと日本橋ですね。ホセ・リサールが銃殺されたところが国の原点ということになります。フィリピンの出発がここということなんですね。

Robinsons Place Manila

Robinsons Place Manila
夕方18時を過ぎて日が落ちてから晩ごはんに出かけます。
スーパーも覗いてみたかったので、ホテルから近いRobinsons Place Manilaまで歩いてきました。Robinsonsはフィリピンの各地にショッピングモールを作っているところらしい。つまり、イオンですね。

丸亀製麺
飲食店も多く丸亀製麺を見つけました。暑かったしうどんもいいな

CoCo壱番屋
暑さに負けないようにカレーか

一風堂
安定の豚骨ラーメンも捨てがたい

吉野家
早い、安い、うまいの牛丼もいいな

ペッパーランチ
それともガッツリ肉にすべきか

いや、日本のチェーン店が多すぎでは?

MANGAN
2泊3日の旅行で日本食を食べてもしょうがないのでGoogle Mapでフィリピン料理にカテゴリーされているこちらのお店にしました。お客が全くいなくてちょっと躊躇したのですが、1人前料理がメニューにあったのでこちらにします。

シシグ
Tapaを頼んだら今日ないということで、おすすめを聞いてこれにしました。
バナナの葉でくるんだ状態で提供されたかなり脂感が強い肉料理です。
ChatGPTに調べてもらったことろSisigという料理らしい。

ガーリックライス
米はどうする?って聞かれたので、いるいるって回答したらガーリックライスになって出てきました。こちらはSinangagでニンニクチップを含めてさっと炒めた感じです。これが肉にあいます。
おすすめ美味しかったです。

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