色々あって岐阜方面に旅行に行くことにしました。ついでなので3月の東海道線を歩いていこうかと思います。
ついで故に天候が最善とはいかなかった点がちょっと困りました。
旅程 |
3月といえば春の18きっぷシーズンです。往復の費用を抑えるためにも18きっぷを使って今回の出発駅である大垣駅まで向かってみます。
ちなみにこだまを利用すると1時間前に、ひかりを利用すると更に1時間前に到着することはできる。大垣まで来るのは大変です。
しかし、今日は帰りの時間は気にしなくていいし、日没は17:57なので、たっぷり18時くらいまでは時間が取れますね。
駅のヴィドフランスでパンを買って出発します。
宮前通り |
橋をわたり始めるとこれから向かう関が原や伊吹山が
見えない・・・
雲底が低いこの雲は日本海から関ヶ原を越えてくる北西季節風に乗った雪雲ですね。
そう思っていると時雨れてきました。ただ、少し雪混じりの霙です。
日本一の石灰石の産地である金生山です。もう削られすぎて山の頂上もない。
山肌がえぐれている鉱山は何箇所か知ってますが、山の頂上すらなくなっている光景は始めて見ました。時間をかけるとここまでできるんですね。
美濃路は熱田から垂井までを結んだ脇街道です。つまり、熱田から東海道線は美濃路をたどっていたことになりますね。江戸時代の東海道は熱田から桑名までは海路でした。東海道が海上国道だったというのは驚きですが東海道中膝栗毛ではしっかりこの海路のエピソードも記載されています。ちょっと今からは想像がつかない。
ここまでの道中であんまり旧街道の感じがなかったので期待してませんでしたが、松並木がバッチリ残っていました。街道整備といえば松(か杉)です。これは旅人が木陰で休息できるようにとの配慮らしいです。江戸時代のアーケードという感じかな。これを京都から東京まで整備したんだからすごいと思う。
しばらく進むと旧中山道と合流します。
美濃路松並木 |
垂井追分 |
5月でもないのに鯉のぼりがたくさん泳いでいてなかなか見ごたえがあるけど、山の雪雲のほうが気になる。天候は少量の霙が降ったり止んだりという感じです。
再出発して旧中山道を進みます。
垂井宿は美濃路と中山道の追分に位置します。
往時が偲ばれる物はあまり多くはないですが、旅籠の亀まるやは1777年に建てられたものです。改築はされているようですが、下部が飯屋の基本的な構造が想像できます。
東海道線と国道21号線をまたいだ先に残存している一里塚があります。
往時が偲ばれる物はあまり多くはないですが、旅籠の亀まるやは1777年に建てられたものです。改築はされているようですが、下部が飯屋の基本的な構造が想像できます。
垂井一里塚 |
この一里塚には茶屋があったようで今もこうして塚の構造が残っています。
日守西交差点からは国道21号線を進みます。
この付近で関ヶ原バイパスも分岐しますが、利用する車はいないようです。なんのためのバイパスなのか。
関ヶ原は東海道新幹線の最大の弱点で冬季である今は盛大に水が撒かれているようです。
ちょうど列車が通過していきましたがすごい量の水が散布されていますね。
しばらく国道21号線を進み関ヶ原駅前交差点で右折します。
1時間半で関ヶ原駅に到着しました。
日守西交差点 |
この付近で関ヶ原バイパスも分岐しますが、利用する車はいないようです。なんのためのバイパスなのか。
水浴びするN700S |
ちょうど列車が通過していきましたがすごい量の水が散布されていますね。
関ヶ原駅前交差点 |
14:51 関ヶ原駅 |
古戦場として有名ですが、別に施設などはないはずと思っていますが、いちよう観光名所としての整備はしているようで観光案内所とお土産の売店はありました。
松尾交差点手前 |
国道21号線は交通量が多いのでこのあたりからは旧中山道をたどっていきます。
藤古川 |
まさか、雪の峠越えになるとは思わなかった。地図と気象レーダーからすぐにやむとみて強行します。
こちらも中山道の宿場町です。面影はさっぱりないですけど、道の感じはなんとなくそれっぽい。近代になって岐阜県に編入かとも思いましたが、江戸時代も美濃国の所属だったみたい。
いよいよ滋賀県に入って近畿地方に入りました。
次の醒ヶ井まで1時間半くらいなので今回はここまでにして大垣に戻ります。
- 今回
徒歩:22.61km
区間:大垣~柏原 20.9km - 累積
徒歩:574.13km
区間:東京~柏原 430.9km/589.5km 73.10%
0 件のコメント:
コメントを投稿